BAMBINIへの想い
New Bambini(SDI) この子供椅子の原形を作ったのは今から30年ほど前になります。
子供のために買ってきた絵本がきっかけでした。
オランダ生まれ(1910年)のアーティストでレオ・レオーニという人が孫のために書いてあげた「あおいろくんときいろくん」や「霧の中のサーカス」に刺激を受けて、私も子供に何か作ってあげようと思ったのです。
また、どうせ作るなら子供椅子としての機能だけでなく複合機能を持たせたほうが楽しかろうという単純な発想でした。知り合いの建具屋に行き、自分で木工機械を使用して作ったのを今でも覚えています。
そのことが私のプロダクトデザインという世界とかかわりを持つきっかけにもなりました。
私の生まれ育ったところは大分県日田市夜明町という日本昔話に出てくるような地名で、100世帯ほどの町(村といったほうがイメージしやすい)でした。全く近代化されておらずのどかな田舎町で、昔の日本ではどこでもそうであったと思いますが、路地に面 して、鍛冶屋があり、豆腐屋があり、籠を編む竹屋ありで、今でいう"手仕事"の職人は周りにたくさんいました。それを私を含めた子供達はまるで魔法を見るように好奇の目で眺めていたものです。
このような環境の中では自分で手を動かしてものを作ることが特別なことではなく当たり前のことでした。実家が製材所ということもあり、私も小学生の頃から材木を使用していろんなものを作った記憶があります。
大学時代を合わせると東京で6年間を過ごし、その後、実家を継ぐため再び大分に帰りました。その頃、すでに結婚して子供もいたので、欲しい家具があっても収入が少なく購入することが出来ない状態でした。しかし、製材所なので木材には事欠かず暇を見つけてはダイニングセット、リビングセット、ベッドなど作ったものです。
子ども椅子(自作)
子ども椅子(天童木工)
やがて木材で家具を作る事(触る・見る・創る)に魅せられてしまい、とうとう26歳からガレージメーカーさながらの小さな木工所を始めたのですが、売れない家具ばかり作って四苦八苦した経験があります。このような最中に作った子供椅子が、現在の子供椅子の原形となっていますので、愛着はひとしおです。
この椅子の改良のためのリ・デザインが何度も施されてきました。
この子供椅子になぜこんなに執着し改良を続けるのかと思う人がいるかもしれませんが、実は縁あって2年前(52歳のとき)にまた子供を授かり、可愛くて仕方ありません。そのことが大きく影響しているのでしょう。レオ・レオーニの気持ちが2度も味わえて幸せなことだと感謝しています。
社会が近代化するほどに分業化が進み、デザイナーという職業も成り立っていますが、本来、デザインという行為は誰もが生活の中で無意識のうちに行っていた行為なのだと思っています。美しいもの、便利なもの、楽しいものは誰でも好きなはずです。
ですから、私はこれからも、デザイン=生活というシンプルな思考の元に、使い手に即したリアリティのあるデザイン活動をしていきたいと思っています。
(プロダクトデザインの思想)より抜粋
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